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春信
国政
歌麿
国芳
広重
国貞

年代別代表浮世絵師の紹介

初期(延宝から宝暦)

菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ) 元和4年〈1618年〉-元禄7年〈1694年〉
近世日本の画家。 江戸初期に活動した浮世絵師の一人。 浮世絵を確立した人であり、すなわち最初の浮世絵師である。「浮世絵の祖」と称される。 それまで絵入本の単なる挿絵でしかなかった浮世絵を、鑑賞に堪え得うる独立した絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たした。 代表作としては、世界的に有名な肉筆浮世絵である「見返り美人図」があげられる。

中期(明和から文化)

鈴木 春信(すずき はるのぶ)
享保10年〈1725年〉-明和7年〈1770年〉
江戸時代中期の浮世絵師。 江戸初期に活動した浮世絵師の一人。 春信の描く美人は、人物が一般に小柄で手足もか細く、色彩も胡粉を混ぜた中間色を使っており、その叙情性も幻想的にさえなる。 その優れた錦絵作品は一時代をなし、後世にまで大きな影響を与えている。 代表作「お仙茶屋」は、笠森お仙が美人画のモデルとなり、江戸随一の美人として一世を風靡した一般女性。春信の知名度を高めるきっかけともな った。
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春信



初代 歌川 国政(うたがわ くにまさ)
安永2年〈1773年〉頃-文化7年〈1810年〉
江戸時代後期の浮世絵師。 活動期間は約十年。ただし、大部分の作品は、寛政8年(1796年)から寛政11年(1799年)までの足掛け4年間にかけて出版されている。 師(初代 歌川豊国)を超える才能を持つとも評されながら、文化3年(1806年)ごろには引退。歌舞伎役者の面売りを営み(現存せず)、早世。享年38歳。 残された版画作品は120点ほど。
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国政



喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)
宝暦3年〈1753年〉頃-文化3年〈1806年〉
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。 活歌麿はそれまで全身を描かれていた美人画の体を省き、顔を中心とする構図を考案した。これにより、 美人画の人物の顔の表情や内面を詳細に描くことが可能になった。 歌麿は遊女、花魁、さらに茶屋の娘など無名の女性ばかりを作品の対象としたが、 歌麿の浮世絵によってモデルの名前はたちまち江戸中に広まるなどし、歌麿の浮世絵は一つのメディアへと育っていった。
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歌麿


後期(文化から安政)

葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年〈1760年〉-嘉永2年〈1849年〉
江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。 森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。 しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。 北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は『北斎漫画』の中にも見ることが可能である。

歌川 国芳(うたがわ くによし)
寛政9年〈1798年〉-文久元年〈1861年〉
江戸時代末期の浮世絵師。 江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、 浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した絵師である。
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国芳



歌川 広重(うたがわ ひろしげ)
寛政9年〈1797年〉-安政5年〈1858年〉
ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。 天保3年(1832年)、36歳の時に正式に浮世絵師として独立した。この年、公用で東海道を上り、 翌年から「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声は決定的なものとなった。 以降、種々の「東海道」シリーズを発表したが、各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けており、ともに秀作をみた。
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広重



歌川 国貞(うたがわ くにさだ)
天明6年〈1786年〉-元治元年〈1865年〉
のちの三代目歌川豊国。 面長猪首型の美人画が特徴。存命中と没後で評価が分かれる。豊国襲名後は工房を安定させ大量の作品を出版、 作品の数は浮世絵師の中で最も多い。その作品数は1万点以上に及ぶと言われる。 歌川広重と合作した「双筆五十三次」においては、三代目豊国が歌舞伎役者などの人物を描き、広重が風景を描いている。
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豊国2


※「北斎漫画」とは
葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集である。 初編の序文によると、1812年秋頃、後援者で門人の牧墨僊(まき ぼくせん)宅に半年ほど逗留し300余りの下絵を描いた。 これをまとめ1814年(文化11年)、北斎55歳のとき、名古屋の版元永楽屋東四郎(永楽堂)から初編が発行され好評であった。 その後1878年(明治11年)までに全十五編が発行された。人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。 北斎はこの絵のことを「気の向くままに漫然と描いた画」とよんだ。 この絵手本は国内で好評を博しただけでなく、1830年代ヨーロッパに磁器、陶器の輸出の際、緩衝剤として浮世絵と共に偶然に渡り、 フランスの印象派の画家クロード・モネ、ゴッホ、ゴーギャンなどに影響を与えたとされる。

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