年代別代表浮世絵師の紹介
初期(延宝から宝暦)
- 菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ) 元和4年〈1618年〉-元禄7年〈1694年〉
- 近世日本の画家。 江戸初期に活動した浮世絵師の一人。 浮世絵を確立した人であり、すなわち最初の浮世絵師である。「浮世絵の祖」と称される。 それまで絵入本の単なる挿絵でしかなかった浮世絵を、鑑賞に堪え得うる独立した絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たした。 代表作としては、世界的に有名な肉筆浮世絵である「見返り美人図」があげられる。
中期(明和から文化)
- 喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)
宝暦3年〈1753年〉頃-文化3年〈1806年〉 - 江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。 活歌麿はそれまで全身を描かれていた美人画の体を省き、顔を中心とする構図を考案した。これにより、 美人画の人物の顔の表情や内面を詳細に描くことが可能になった。 歌麿は遊女、花魁、さらに茶屋の娘など無名の女性ばかりを作品の対象としたが、 歌麿の浮世絵によってモデルの名前はたちまち江戸中に広まるなどし、歌麿の浮世絵は一つのメディアへと育っていった。
後期(文化から安政)
- 葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年〈1760年〉-嘉永2年〈1849年〉 - 江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。 森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。 しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。 北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は『北斎漫画』の中にも見ることが可能である。
- 歌川 国貞(うたがわ くにさだ)
天明6年〈1786年〉-元治元年〈1865年〉 - のちの三代目歌川豊国。 面長猪首型の美人画が特徴。存命中と没後で評価が分かれる。豊国襲名後は工房を安定させ大量の作品を出版、 作品の数は浮世絵師の中で最も多い。その作品数は1万点以上に及ぶと言われる。 歌川広重と合作した「双筆五十三次」においては、三代目豊国が歌舞伎役者などの人物を描き、広重が風景を描いている。
※「北斎漫画」とは
葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集である。
初編の序文によると、1812年秋頃、後援者で門人の牧墨僊(まき ぼくせん)宅に半年ほど逗留し300余りの下絵を描いた。
これをまとめ1814年(文化11年)、北斎55歳のとき、名古屋の版元永楽屋東四郎(永楽堂)から初編が発行され好評であった。
その後1878年(明治11年)までに全十五編が発行された。人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。
北斎はこの絵のことを「気の向くままに漫然と描いた画」とよんだ。
この絵手本は国内で好評を博しただけでなく、1830年代ヨーロッパに磁器、陶器の輸出の際、緩衝剤として浮世絵と共に偶然に渡り、
フランスの印象派の画家クロード・モネ、ゴッホ、ゴーギャンなどに影響を与えたとされる。